遺骨のない仏壇に手を合わせ・・・
今年の5月12日に、しんぶん赤旗に掲載された「母の日特集」の記事を紹介します。
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1945年2月、満州で生まれた母は、自分の父親の顔を覚えていません。 戦前、広島で教師をしていた祖父。1939年ごろ満州に渡り、日立製作所で働くようになったそうです。終戦も間もない1945年6月に「現地召集」されたのは、35歳の時のことでした。 生まれたばかりの母と一歳だった伯父を残して戦地に向かい、シベリアに渡った祖父が、二度と戻ってくることはありませんでした。そして、その後どうなったのか、詳しいことはいまだに分かっていません。 母と伯父は、祖母に連れられて1946年秋に日本に引き揚げ、佐賀県で暮らすようになりました。母はまだ幼かったので、「ボストンバックの中に入れられて帰ってきた、という話を祖母からよく聞かされた」と言っていました。 自分の父親の、遺骨のない仏壇に手を合わせる母の姿を見るたびに、私は二度と戦争をしてはいけないという思いを強くしたことを覚えています。今でも祖父の「その後」を追っている伯父。「まだ戦争は終わっていない」という伯父の言葉が耳に残ります。 五十歳ごろから高齢者介護のボランティア活動を始めた母は今、ヘルパーとして働いています。やさしく声を掛ける母の姿が目に浮かびます。先日、「今年も立派な花が咲きました」というメールが届きました。一昨年母の日に送ったカサブランカです。花言葉は「雄大な愛」。 憲法を守り抜き、愛情いっぱいの平和な日本と世界を実現するため、7月の参議院選挙、絶対に負けられません。全力で走り抜ける決意です。
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コメント
谷川さん、毎日お疲れのことと存じます。
いよいよ来週が公示ですね。体調管理に充分気をつけて、しっかり体を休めながら、しっかりと宣伝活動、がんばってください。
今日(7/7)は、朝からビラ800枚の全戸配布をしてきました。私は、ビラまきでも、できるだけ対話を心がけるようにしているのですが、長崎二丁目(豊島区)で対話になったおばあさんは、とても印象的でした。
このおばあさんは、都知事選の時、「あたしは投票など行かないよ! どいつもこいつも当てになんかなるもんか」と言っていたおばあさんです。
でも、今朝は全く違いました。
おばあさんのお兄さんは、東南アジアに出征し、駆逐艦で戦死なさったそうです。死亡通知の電報が届き、その後、遺骨が入っていると思われる木箱が家に届いたそうです。空爆(空襲)のたびに、お母さんが仏壇に上げてあるその箱を抱えて防空壕に逃げるのですが、警報がたびかさなるので、「遺骨は体に肌身離さずもっておこう」と木箱を開けると、中には石ころがひとつだけ入っていたそうです。おそらく船の沈没した近くの浜辺の石なのでしょうが、捨てるわけにもいかず、母と二人で涙を流してたのだそうです。
「あの時は本当に悔しかった。憲法を変えるなんて、あいつら(安倍首相)は何を考えているのか!」と、怒っていました。さらに、
「テレビや新聞の報道をそのまんま受け止めてたら、あの人たちの思う壺。私たちには何にも知らせないんだから。」というのです。
「でも、そんなことを人前で言ったりすると『あの人はアカだから』なんて言われる。そんなくだらない事言ってないで、物事の本質を見極めなきゃいけないのに、まったくもう。あなた、がんばって! 若い人ががんばんなきゃ、この国はどうしようもないんだから!」
すごく元気が出ました。
読者なのかなぁ? と思いながら、彼女の「熱く、強い思い」に、読者かどうかなんてどうでも良いや。と思いました。
町に、すごい「風」が吹いているのを感じます。
昨日、宣伝カーに乗った時も、歩く人の様子が変わります。ハンドマイクが出せるのもあとわずか。
公示日からは、谷川さんにバトンタッチで、僕はメガホンに切り替えます。
ともに、がんばりましょう!
投稿: 中野 龍 | 2007年7月 7日 (土) 14時42分